紺碧の天空へ ― 夜明け

05:24 行者小屋(標高2,350m)を出発

外へ出ると、昨夜の予感通り空には一点の雲もない。ヘッドランプの明かりを頼りに、まずは隣接する山小屋、赤岳鉱泉へと向けて歩き出した。

足元では、昨夜成長した巨大な霜柱が、登山靴に踏まれるたびに「バキバキ」と小気味よい音を立てて砕ける。空気が極限まで乾燥し、放射冷却で冷え切っている証拠だ。

05:49 赤岳鉱泉

25分ほどで赤岳鉱泉を通過。すでに多くの登山客が忙しそうに、そして嬉しそうに準備していた。彼らを横目に、ここから本格的な登りに入る。目指すは稜線上の分岐点、赤岩ノ頭(あかいわのかしら)だ。

道は沢沿いから次第に斜度を増していく。樹林帯のなか、規則的な呼吸を刻みながら高度を稼ぐ。木々の隙間から差し込む光が少しずつ白さを増し、今日という日が特別な快晴になることを確信させてくれる。

06:57 赤岩ノ頭

樹林帯を抜け、視界が爆発的に開けた。赤岩ノ頭に到着だ。ここからは「歩く」というより「空を移動する」ような感覚に近い。振り返れば、遠く雲海の上に北アルプスの山々が鋭いシルエットを浮かべている。空気の透明度が凄まじく、100km以上先の嶺々までが、まるで手が届きそうなほど鮮明に見える。

足元に目を落とせば、砂礫に混じって無数の氷の結晶が朝陽を浴びて宝石のように輝いている。風は冷たいが、それを補って余りある陽光の温もりが身体を包む。

07:18 硫黄岳(標高2,760m)

赤岩ノ頭から緩やかな砂礫の斜面を登り詰め、硫黄岳の広い山頂に立った。八ヶ岳のなかでも特異な、広大で平坦な山頂。 そこから見渡す360度のパノラマに、一瞬言葉を失った。

深く、濃い「八ヶ岳ブルー」の空。 眼下には真っ白な雲海が広がり、その向こうには南アルプス、中央アルプス、そして御嶽山までもが並んでいる。荒々しい火口の縁に立ち、この絶景を眺めながら朝食を摂る。

冷え切った身体に、持参したおにぎりとスープが染み渡っていく。この澄み切った空気。この光。 「あぁ、この瞬間のために登ってきたんだ」 そう確信できる最高の2日目の幕開けだった。

硫黄岳から横岳の岩稜へ

07:44 硫黄岳(標高2,760m)を出発

目が痛くなるような青い空をバックに爆裂火口を背に、広大な砂礫の斜面を下り始める。ここからは、八ヶ岳縦走のなかでも最も展望が開ける岩稜帯へと向かう。

足元は細かな石が転がるザレ場だ。一歩踏み出すごとに乾いた音が響く。視界を遮るものは何もなく、正面にはこれから辿る横岳の嶺々、そしてその奥に赤岳が待ち構えている。

08:05 硫黄岳山荘

斜面を下りきった鞍部に、硫黄岳山荘が佇んでいる。

風を避けるように建てられた山荘を通過。看板には軽食やコーヒーの文字が並ぶが、今は足を止めずに先を目指す。

08:28 台座ノ頭(標高2,795m)

硫黄岳山荘からの登り返しを詰めると、台座ノ頭に到着した。ここを境に、山の表情は劇的に変化する。それまでのなだらかな砂礫の道は消え、ハイマツの緑と剥き出しの岩が混じる険しい道へと変わる。

左右は切れ落ち、高度感は一気に増す。しかし、空気の透明度は相変わらず素晴らしい。遠くの山並みまでが、まるでナイフで切り取ったかのように鋭い輪郭で空に刻まれている。まさに「天空の回廊」を歩いているという実感に包まれる。

08:40 横岳(奥ノ院・標高2,829m)

鎖場をいくつか越え、岩場を攀じ登るようにして横岳(奥ノ院)の頂に立った。

山頂の古い標識の向こう側、雲海の上にポッカリと浮かぶ富士山の姿があった。 10月の鋭い陽光を浴び、紺碧の空を背景にしたそのシルエットは、完璧な均衡を保っている。

ここからは横岳の連峰―無名峰、三叉峰、石尊峰と続く岩稜の核心部だ。手には岩の冷たさ、耳には風の音。澄み切った青空の下、一歩一歩が剥き出しの生命感に満ちた、極上の稜線歩きが始まった。

横岳から主峰・赤岳へ

08:54〜09:08 横岳(無名峰・三叉峰・石尊峰)

横岳の稜線は、穏やかな硫黄岳とは対照的な険しい岩の連なりだ。無名峰、三叉峰、石尊峰と、八ヶ岳の「牙」とも言える尖峰を次々に越えていく。

行く手に、ついに主峰・赤岳がその全貌を現した。切り立った岩壁、赤茶けた山肌。荒々しくも気高いその姿は、まさにこの山脈の王者の風格だ。10月の強い陽光が、岩の凹凸をくっきりと描き出している。足元は常に切れ落ちており、慎重な足運びが求められる。鎖を掴み、岩のスタンスを拾いながら進む。視線を上げれば、常に左手には雲海に浮かぶ富士山が寄り添っていた。

09:43〜09:54 地蔵ノ頭・赤岳天望荘

急峻な岩場をパスし、地蔵尾根との合流点である「地蔵ノ頭」を通過。そこから少し下った鞍部に、赤岳天望荘が建っている。

多くの風車が回る天望荘を通り過ぎ、いよいよ赤岳本体の急登へと取り付く。ここから山頂までは標高差約200mの直登だ。

0:22 赤岳山頂(標高2,899m)

一歩一歩、浮き石を踏まないよう踏みしめて登り詰め、ついに八ヶ岳最高峰・赤岳の頂に立った。そこには、言葉を尽くしても足りないほどの絶景が広がっていた。 眼下には今歩いてきた横岳と硫黄岳の稜線が美しく伸びている。

北アルプス、中央アルプス、南アルプス。日本の屋根たちが、すべて雲海の上に顔を出している。山頂にある赤岳頂上山荘を確認し、再びピークに戻って、10月の冷たくも清々しい風を全身で浴びた。昨日、雲に隠されていた阿弥陀岳も、今日はその端正な姿を隠すことなく見せてくれている。

ラーメンの至福と、湯の温もり

11:46 行者小屋 帰還

山頂からのパノラマを十分に堪能した後、文三郎尾根を一気に下る。

文三郎尾根の急峻な階段と、ずるずると滑るザレ場。膝にくる衝撃を適当にいなしながら、重力に身を任せて一気に駆け降りる。一時間ほどの格闘。不意に視界が開け、行者小屋の赤い屋根が飛び込んできた。

テントを撤収する前のご褒美。小屋で注文したラーメンだ。チャーシュー、ネギ、コーン、ワカメ、海苔。 熱いスープを一口飲むと、2日間で使い果たした塩分と体力が一気に身体へ染み渡っていく感覚。この山で食べる一杯の重みは、何物にも代えがたい。

12:52〜15:25 下山、そして八ヶ岳山荘へ

ラーメンでエネルギーを満たした後、手早くテントを回収して下山を開始した。帰路は昨日登ってきた南沢を再び辿る。標高を下げるにつれ、森の密度が増し、沢の音が大きくなっていく。

  • 14:34 美濃戸登山口
  • 14:49 赤岳山荘
  • 15:25 美濃戸口(八ヶ岳山荘)到着

ついに戻ってきた。 2日間で25km、獲得標高2,429m。 最後に立ち寄ったのは、八ヶ岳山荘のお風呂だ。

熱い湯に肩まで浸かり、2日分の汗と、岩場で強張った筋肉を解きほぐしていく。風呂上がりに着替えを済ませ、バスを待つ間に飲む冷たい水が、旅の終わりを告げた。

15:50、超満員だった昨日とは対照的な、少し静かなバスに揺られて茅野駅へ。特急あずさの座席に深く身体を沈めると、心地よい疲労感と共に、まぶたの裏にはあの紺碧の「八ヶ岳ブルー」がいつまでも鮮やかに残っていた。

地点(1日目)到着時刻(1日目)地点(2日目)到着時刻(2日目)
美濃戸口10:04行者小屋(出発)05:24
行者小屋12:56硫黄岳07:18
阿弥陀岳15:11横岳(三叉峰)09:02
行者小屋16:33赤岳10:22
行者小屋(戻り)11:46
美濃戸口15:25
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